設立への思い


私は、富士ゼロックス営業部門において、コピー機以外の新規商品領域を担当、特に1983年 から担当することになった米国ゼロックスが開発したJ-Starは、衝撃でした。これは、今のMicrosoftのWindowsやMacの原型で既にイーサネッ ト、マウス、アイコン、電子メール、マルチウインドウの機能がありました。当時のコンピュータはまだディスプレイ上に一定の大きさの文字だけしか映し出せない時代に、このJ-Starは自由な大きさの文字・図形も描き出せたシステムでした。しかもドットプリンターしかない時代に白黒でしたが図も出力できる今と同じネットワークにつながったレーザープリンターを持っていました。当時の富士ゼロックスは、拠点営業所はXNS(Xerox Network System)というTCPIPの原型となるプロトコルでつながっていました。出張時に、オフィスを出る時に自分のデスクトップを サーバーに移動という設定を行い新幹線に乗りました。出張先のオフィイスのJ-Starを借りて自分のデスクトップ呼び出すと当時はまだ拠点間は回線が細 かったので1時間以上かかりましたが、いつも使っている自分のデスクトップがアイコンもそのまま借りたJ-Starに出てきて作っていた提案書にアクセスできて感激したたこと覚えております。 当時はまだインターネットがない時代で一部の企業内でしか実現していませんでしたが、ネットがつながっていれば場所が変わっても端末が変わっても自分のデスクトップにアクセスできて仕事ができることは理想の仕事環境と思っておりました。 それから30年近く経って、今はゼロックスのJ-Starに代わる理想の仕事環境が、仮想デスクトップという考え方のシステムです。その中でも特にモバイ ルでも使えるものがCitrixのシステムです。大手企業ばかりでなくこの理想のシステムの良さを普通のお客様も気軽にお使い頂けるよう敷居の低いサービ スに仕立て提供しようと考えました。
金子 孝治


経歴と参加協力の思い


大学卒業後、株式会社高見沢サイバネティックスにて鉄道用券売機を開発、そののち富士ゼロックスに転籍してFAXの営業となり、販売フィールドで現在の複合機を推進。社長表彰受賞3回。
その後マーケティングやプロモーション領域を経て、富士ゼロックス100%の関連会社富士ゼロックスキャリアネット(株)の取締役に2004年6月就任。
人材サービス会社でありましたが業務受託事業の拡大を目指して2004年に翻訳事業を開始しました。後発でありましたので強力な特長を得ることを思考し、在宅の翻訳者(フリーランサー)とクライアントからの翻訳原稿や成果物の交信に危険なメール添付を防止するため、当時富士ゼロックスとして初めてCitrixのMetaFrameを採用し、翻訳支援ソフトのTRADOSを併用したシステムを構築。翻訳者には、コピー、印刷、プリントスクリーンまでCitrixのシステムで制限して世界最強のセキュリティーを持った翻訳事業を開始しました。
現在この仕組みはテンプスタッフ・クロス(株)が継承して稼働中です。
2010年6月、取締役退任後は、富士ゼロックス同期の金子孝治氏のCitrixを活用した仮想デスクトップサービス事業構想に賛同し、多くのお客様にこの素晴らしい世界を使って戴きたく、事業の立ち上げに参加協力して現在に至ります。

井上 慶一